幸せの定義
心を整える

***幸せの定義 ***

一言で【幸せ】と言っても人それぞれ価値観は違い、何が幸せなのか?も違ってくるのですが
一般的な幸せは『美味しいものを食べる事が幸せ』『素敵な洋服を買う事ができて幸せ』
『やっとの思いでマイホームを手に入れて幸せ』『お金がいっぱい儲かって幸せ』と、いった感じでしょうか?

私は、これら一般的な幸せは『快楽』として解釈しています。『煩悩が満たされて幸せ』という事です。
別にそれはいけない事でないですし、煩悩を満たそうとしなければ、どんな人も成長できないのがこの世の仕組みでしょうし
どんな人も、そこに向かって生きなければ、多くを学び慈愛の心を育む事も出来ないものだと、そう思っています。

私自身、思いっきり好き勝手生きてきたおかげで多くを学ばせて頂きました。
そして、【他人の幸せを願う事ができる喜び】や【与える事のできる喜び】【他人に尽くす事の出来る喜び】
【多くに感謝できる喜び】【今、生きていられる事の喜び】など、綺麗事としか思えないような~
また、言葉にすれば恥ずかしくなるような、幸せを感じられるようになりました。

私は、幸せとは本来そういったモノだと思っています。
しかし、実際には他人に尽くして嬉しいという体験を幾度と無く繰りえさなければ
どんな人もそんな気持ちにはなれないのが人の性だと思っております。

なぜならば、人は生まれた時から煩悩を植えつけられ自分本位に生きるように創られているからです。
意識して他人に尽くしても『俺って何やってんだ?こんな事して何になるだ?』という気持ちが、込み上げてくるものです。
自分の周りを見渡せば、自分勝手に生きている人ばかりで、そんな事をするのがバカらしくなってくるでしょう。

しかし、実際は常に自分の事ばかり考えて生活しているから、同じような人ばかりが周りに集まるだけで
社会や他人の事ばかり、考えて生活している人もたくさんいるのです。ただその事実を知る【縁】がないだけなのです。
実際に現代社会の豊かさは、社会をもっと素晴らしくしようと努力した方々が創り上げた社会であり
自分勝手に生きている人ばかりでは創れない社会のはずです。

私の場合、長い間自分勝手に生きて来ました。世の中を否定し、社会を批判し、独自の正義を振りかざし
その正義を他人に押し付け、自分が全て!という生き方を繰り返してきたのです。
その結果、多くの苦悩と直面した事で、自らの愚かさを知り、そのおかげで『もっと社会や他人に尽くさなければならない!』という気持ちになれたのです。

自分勝手に生きている間は、同じような人種ばかりの中にいたので、人間なんてみんなそんな者だ!と思っていましたが
思いが変わるだけで、自分の人間関係が大きく変わって行くのがわかりました。
私が生きていた世界は、つまらないちっぽけな世界だったと気づかされる出来事でした。
そして、それは私自身がちっぽけな人間だったからだと痛感したのです。

その後は、もっとまともな人間になろうと努力しました。
その努力のおかげか、尊敬できる方々にたくさんの【ご縁】を頂きました。
そんな方々から多くを学ばせて頂き、【幸せ】の価値観が大きく変わるような体験をさせて頂いたのです。

私は、例え偽善であろうと、そこに向かう努力をする事が大切だとそう思っています。
偽善に気づけず、自分に驕っていては人生は大きく後退しますが、自分自身で偽善と解っていれば、少しずつでも 確実に人生を前に進める事ができるものです。

私は、誰しも快楽ではない幸せを無意識に追い求める思考を持ち合わせ、 そんな欲望を心の奥く深くに持っているものだと思っています。 その欲望を目覚めさせるのは、やはり自分自身なのでしょうね。