経験値がエネルギー化し肉体に蓄積される


***経験値がエネルギー化し肉体に蓄積される***


どんな人にも、慈愛の心を芽生えさせようとする本能を生まれた時から持ち合わせており
他を思いやる心や、ゆるす心、尽くす心がとても大切だという事を無意識に理解しています。
しかし、同時に煩悩を強く刻まれた状態でこの世に産み落とされ、無意識に自らの快楽を求め続けてしまいます。

生きる上で無意識に優先するのは、自らの快楽であり
年齢を重ねる事で、多くの経験をし、他に尽くし、思いやる心が芽生え、生きる意味が移り変わって行く。

子供の頃から慈愛の精神に満ち溢れた人などいないのですが
様々な経験を経て、自分以外の大切さを学ぶように、この世の中は創られている。

自分の思い通りにならない出来事に対して、怒りや憤りを感じ、不平不満を抱き
その時に生み出されるエネルギーは、血肉に記録され続けており
そのエネルギーが、自分と同質の現実を目前に突きつけてくる。

自分本位に生きはじめるのが、人というものですが
自分の思いが、他に与える影響を学ぶ事で、他を思いやる心を学ぶ事ができるのです。

嫌な出来事や、嫌な相手は、自分が引き起こしていると気づく事ができれば
自らを改善する事ができ、目前の現実から多くを学び、有意義な人生を過ごす事ができます。
逆に気づく事が出来なければ、嫌だと感じる現実はどんどん大きくなって繰り返される。

経験や、その時の感情は、常に血肉に刻まれ続けています。
思考を通さなくても、身体が憶えており、無意識に言動となり現れてしまうのです。

他を理解しようと努力しない経験値も、血肉に刻まれ続け
自らの肉体からエネルギーとして放出され、そのエネルギーに基づいた現実が創られてゆくわけです。

同じように、他を思いやる感情や、理解しようとする感情、多くに感謝する想いも血肉に刻まれ 自分自身のエネルギーとして、放出しています。

自分の身近に居る人が前者と後者のどちらが良いか?を考えれば解る事ですが
他人の目線で、自分を見る事などなかなかできない為に、無意識に自分以外を変えようとしてしまうのも 人の性でしょう。
しかし、いくら目前の現実を変えようとしても、その現実は、自らの経験から生まれるエネルギーが
創り出しているので、何度も何度も同じような出来事が繰り返されるわけです。

ならば、はじめから慈愛の精神を学ぼうと努力しながら、日々を過ごしていれば
自らの未来は、素晴らしいものになるのだと、私はそう思っております。